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蔵の鍵~鍵を紛失して交換した私が解説~

今でも古くからの農家だったり商家には昔ながらの蔵が現役で使われていることがあります。この蔵の歴史はとても古いものです。弥生時代まで遡ることができます。弥生時代は稲作が始まったと歴史の授業で教わりましたが、収穫した稲を保管するための蔵が必要だったのです。そこで高床式穀物倉が誕生します。それから、奈良時代には正倉院や地方の国府の正倉が誕生します。寺院の経蔵や宝蔵などが誕生します。そして戦国時代になると戦のための武器庫が必要になります。また、書物蔵や米蔵なども築かれていきます。
やがて、江戸時代に入りますと産業が発展していきます。承認は質蔵や金蔵、稲荷蔵、文庫蔵、納戸蔵、雑蔵、米蔵などを築いていきます。見世蔵なども立ち並びます。
そしてこれらの蔵にはとても豪華な錠前が使われていました。この錠前が富の象徴とされていたのです。商人たちは競うようにして豪華な錠前を職人に作らせていました。
蔵には分厚い漆喰の外戸と木の内戸がありました。3種類の鍵で施錠をされていました。内戸は「蔵鍵」と「落とし錠」によって守られていました。
このように錠前やセキュリティの観念が生まれていく中で、一方庶民には守るべき財産などもありませんので鍵を必要としていませんでした。心張り棒程度で十分だったのです。

全国共通の古い鍵

地域ごとに使われていた4種類のカギ以外に、地域に関係なく全国的に使用されていたカギが3種類あります。これらについて見て行きたいと思います。

◯海老錠
こちらの海老錠については既に紹介しました。日本最古と言われているカギです。古代に唐から使われていたものですが、江戸時代になるまで使われていたのです。それほどカギとして完成したものだったということでしょう。
◯太鼓錠
太鼓錠は南京錠に似たもので現在でも使われています。
しかし、江戸時代に使われていた太鼓錠は現在のような丸みを帯びた形というよりはもっと四角いものでした。
◯船形錠
その名の通り、船の底のように下のほうが膨らんだ形をしているものです。太鼓錠もそうですが、海老錠を発展させて形が変わっていったもののように思われます。上部分に通っている棒状のものを外したりカギをかけたりすることで施錠していたのでしょう。現在の南京錠と同じ仕組みです。

これらの錠前は手軽に手に入る安価なものだったそうです。時代劇などをみていると牢屋の場面などで出てきます。
これらのカギは明治に入ると南京錠が輸入されてきたことによって姿を消してしまいます。

地域の産業としての鍵

特定の地域でのみ作られた和錠が4種類あると紹介しました。この4種類についてそれぞれ紹介していきたいと思います。

◯安芸錠
安芸とは現在の広島県のことです。安芸錠はずっしりとしていて重たく頑丈な作りになっている錠前です。鍵先も特徴的です。鍵穴の部分が裏表ともに球状にふっくらとふくらんでいて、ヒキガエルのお腹のようになっています。そのため、広島弁でヒキガエルをあらわす「ドンビキ錠」とも呼ばれています。安芸錠は現存するものが非常に少ないそうです。もし機会があれば実物を見てみて下さい。
◯因幡錠
因幡は現在の鳥取県のことです。鳥取県というと鳥取砂丘が有名です。良質な砂鉄の産地ということで、錠前にもその砂鉄がふんだんに使われています。
表面はろう付けになっていて、正面が膨らんでおり、裏側は平になっています。僧侶の座禅を組んだ姿のようだといわれるくらい重量感のある堂々とした風格の錠前です。
民芸家の柳宗悦もこの因幡錠のシンプルなデザインを高く評価していたと言われています。
◯土佐錠
土佐は高知県のことです。土佐は刀の産地として有名でしたので刀と同じ玉鋼という上質の鉄を使って錠前が作られました。鉄肌の質感が美しいことから「女肌には白無垢や・・・雨にしおるる立ち姿」と歌われたお染さんにちなんで「お染錠」と通称で呼ばれることもあります。全面には縦縞錠の段差があり、サイズは焼き物の鍋島焼と同じように統一されています。頑丈で精巧な美しい錠前です。重量感もあり、重いものでは7キロにも及ぶそうです。土佐藩主である山内一豊が錠前づくりを奨励しており、藩外不出品とされていました。そのため、現存しているものは少ないそうです。
◯阿波錠
4つめは徳島の阿波錠です。おおぶりで肉厚、重量感があるのが特徴です。豪華な飾りがつけられていて、独特なデザインのものも多いのが特徴です。
阿波は産業が盛んだったため、商人たちの富の象徴として蔵に使われていました。また、人形浄瑠璃の影響でからくり仕掛けの錠前もたくさん生まれたそうです。

最古のカギ

日本の錠前で現存する限り最古のカギと言われているのが大阪府の羽曳野市で出土した海老錠です。野々上遺跡から発掘されました。海老錠というのはその名の通り、海老のような形をしたカギです。野々上遺跡と同時代に唐から伝来したとされている海老錠が奈良の正倉院に保管されています。
このようなエビ型の錠前は形が変化することなく平安時代末頃まで使われていました。戦国時代に入ると日本独自のものが登場するようになります。これを和錠と呼んで区別しています。
戦国時代が終わると武士の時代ではなく平和な商人の時代になります。産業が発達し、裕福な商人たちが活躍していきます。自身の富を蓄えるために蔵を使用するようになり、それを守るために和錠が実用化されていくのです。戦国時代に刀鍛冶など武器をつくっていた職人たちは仕事がなくなったために錠前職人に転職していく流れもありました。職人たちは商人の希望に沿うようなデザイン性と機能性に優れたカギを生み出すようになっていきます。
和錠を形や装飾で分類していくと7種類に分けることができます。そしてこのうち3種類が全国共通のものです。そして残り4種類は特定の地域のみで作られたものになります。特に砂鉄の産地や刃物の産地などは錠前づくりが藩をあげての産業となっていったそうです。